馬鹿ではやさしくなれない。

馬鹿ではやさしくなれない。

過激なタイトルだけど、これは真実だと思う。
むしろ、そんなことあたりまえのことだから
みんな努力するんだと思う。
馬鹿にならないように。

やさしさに必要なもの

自分の大事な人、親や家族、友人、恋人・・
これらを思い浮かべたときに、
彼らを助けるための手段の一番になるものは
「金」だったりするのは人間社会の構造だ。
これを認められない人はコンプレックスや偏見で
凝り固まっているか、たんなる世間知らずだと思う。

次にその金を何に使うかということへの知性もまた
その次に重要なことだ。
あるいは最低限のコストで最大の効果を出すということが
社会において重要な知性なのだから、
金だけあっても意味がないし、誰かを支えることもできない。

そして、人に優しくするっていうのは
「金」や「時間」を相手の心や気持ちを理解して、
適切に運用すること。

俺が一番言いたいのは「相手の気持ちを理解する」
には、十分な人間観察と自分自身への考察、他人への
想像力、そして豊かな感性が必要となるってことだ。

やさしさのための知性ってものは

そもそも学習って言うのはやさしさの必要要素を育てるためのものだ。

たとえば、数学は物事を概念的にとらえ
論理的思考のもとに適切な判断を下すために重要なものであるし

たとえば、国語は他人の論理を踏まえて、
ある状況下で登場人物なり、著者がいかに考えるかを
推察するものであるし、

たとえば、社会であれば世の中の構造を知った上で、
適切な判断や補助を受けるための最低限度の知識であったりする。

ここでいう馬鹿とは単純に学歴や勉強のことを意味しないけど、
勉強のできがある程度馬鹿を探し出す鍵になっていることは
確かだと思う。

だって、小説に出てくる人物の気持ちすら適切に理解できない
人間がリアルな人物の気持ちを考えるなんてできる訳ないんだから。

これをできると勘違いしたり、
おせっかいをやさしさだと判断したり、
不適切な解決策を提示したり・・・

「やさしくしようとする気持ちがうれしい」
のは、確かだけど、それは本当のやさしさじゃない。

人を助けられないやさしさは無力。

だから人は学ぶ。
知性的であろうとする。
相手を理解しようとする。