陸の孤島会議とモチベーションについて

学会ジャック@つくば

http://www.yabooo.org/archives/96

日本野望の会にて先日3/15日に「陸の孤島会議」と称して情報処理学会ジャックを行いました。
ジャックといっても不穏当なものではなく、3件の学会発表のちっちゃなネタを発表し、
その場にいるひとに野望の会を告知して回ろうというようなものです。


今回僕が発表したネタは「キーストローク情報を用いた間を考慮したブログシステムの提案」というタイトルの
あやしげな論文でしたが、なにがなんだからわからないうちに「学生奨励賞の(写真)たて」をいただきました。
初めての野望のアワードですw


日本野望の会は「なんであるかわからない」ことを大事にしている集団です。
とりあえず現段階ではIT系の技術者がずいぶんと集まっているようですが、
ITである必然性はないんです。


その「なんだかわからない」会である人たちにとって大事なことは
「己が野望を持つこと」です。


出席してくださった方はなんだかわからないまま、モチベーションを高めて帰っていきます。
そういう会です。

モチベーションのディレンマ

さて、このモチベーションというやつですが、少し不思議な性質を持っています。
そこには「本質的な矛盾」を抱えている部分があると思っています。


モチベーションとは日本語で「動機付け」とも訳されたりしますが、要するに「個人が個人としての野望を実現するための行動意志」と思ってもらうほうがよいかと思います。


なんで、"個人"と強調したかというと、これは"組織"にとっての野望というものを考えてみればおのずと理解できると思います。
組織にとっての野望というものは純粋な意味ではありえないからです。


人間社会、特に近代社会というのはすばらしいシステムで、個々人が利己的な意志決定のもと動くことでそれらの利己的意志が結果的に善意となって還元されるという欲から善意への変換機構として機能しているというものだと僕は解釈しています。


つまり、会社・国・自治体といったあらゆる組織は個々人の野望の総体としてその構成要因に還元するシステムだということです。


そうであるならば、組織とは構成要因のモチベーションを拡大再生産し続けるような機構を持っていないといけないわけです。
一般的なものとしてはヒト・モノ・カネといった社会の流動財産をもちいています。


しかし、多くの組織のモチベーションの拡大背再生産機構には「最低限度のモチベーションを維持する」程度の仕組みしか内包されていません。なぜならヒト・モノ・カネは組織の持つ上下(主従)構造や目的などなど組織が組織としてあり続けるために必要なものによって個人のモチベーションへの制約を発生させてしまうからです。


これは海外の事情をよくわからないのでそう思うだけかもしれませんが、日本人はそのすぐれた感受性ゆえ、従属意識や所属意識というものを非常に強くもつ傾向があるように思います。
それは一概に悪いことではないのですが、最適な選択を阻害することもあるだろうし、結果的にイノベーションを生むことができないという場合もあります。

まとめると、
組織が組織として成立するためには、個々人が利己的で活動的であることが求められています。
しかし、組織が組織として継続するためには従属意識や組織構造によるモチベーションの方向性への制約を受ける場合があります。
この二律背反的な組織とモチベーションの関係がモチベーションのディレンマ(造語)です。

アナザーウインドウ

会社や学校などを自分のモチベーション維持のための大きな窓だと思ってください。
そこには自分にとって大事な人との交流があり、十分な機材なり予算があり、そしてお給料を提供してくれるものがあります。
その窓はそこを通じて、いくらでも外に飛び出すことのできるだけの十分な余地はあるのですが、
長い間その窓だけを開けていても十分な換気ができません。


風を呼び込み、換気を行うにはたったひとつでも小さい窓が必要なのです。
大きな所属組織によって開かれた窓を最大限につかって換気し続けるための
小さな窓。


その役割を日本野望の会は担っていきたいと思っています。